従業員の自殺・自殺未遂と業務起因性
― 使用者側の対応と反論の組み立て方
守谷・取手・常総・つくばみらい
主な取扱分野:企業法務・労務(使用者側)・労災対応・問題社員対応・契約書整備
| Q | 従業員が自殺し、遺族から労災請求の連絡が来ました。会社として何から確認すればよいですか? |
| A |
結論として、労災請求は遺族が労働基準監督署に直接行う手続のため会社の同意は不要ですが、会社としては発症前おおむね6か月間の事実関係を客観的に再現できる資料を、感情的判断を挟まず時系列で整理することが起点になります。
労災保険における遺族補償給付の請求は、遺族が労働基準監督署に直接行う手続です。会社が同意するか否かは制度上関係ありません。労基署は会社に対して事業主証明欄への記入を求めますが、これは「労働者であった」「業務であった」等の客観的事実の証明であり、業務起因性を肯定する意味ではありません。事業主証明欄の記載に疑義があれば、別紙で会社側の認識を補足することができます。
⚠️
労災請求書には「災害の原因及び発生状況」を記載する欄があります。会社が証明欄に押印する際は、この欄の記載内容を慎重に確認することが重要です。会社の認識と異なる内容に押印してしまうと、後の民事訴訟で会社が事故状況を認めたものとして扱われ、反論が困難になる場面があります。会社の認識と異なる場合は、別紙で会社の認識を補足するか、押印を留保して労基署と協議することが選択肢となります。押印前に弁護士に確認することをお勧めします。
会社として最初に整理すべきは、心理的負荷による精神障害の認定基準(令和5年9月1日付基発0901第2号厚生労働省労働基準局長通知。以下「認定基準」といいます。)が定める判断対象期間(発病前おおむね6か月間)の客観資料です。
【図1】初動で整理すべき資料(発病前おおむね6か月)
— 資料散逸を防ぐため、関係者ヒアリング前に証拠保全を優先する。 —
⚠️ 関係者ヒアリングを先行すると、口裏合わせや記憶の汚染が起きやすく、後の労基署聴取・民事訴訟で記録の信用性を損ねる場面があります。まずは客観資料(電子記録・書面)の保全を優先することが重要です。
労災請求の事業主証明・労基署聴取の前に、社内対応方針を弁護士と整理することをお勧めします。 |
| Q | 労災認定されると会社は自動的に損害賠償責任を負いますか? |
| A |
結論として、労災認定と民事損害賠償責任は別個の判断であり、労災認定が出ても会社の安全配慮義務違反が当然に成立するわけではありません。ただし認定の調査資料は民事訴訟で重要な間接事実となるため、認定段階での対応が後の訴訟に大きく影響します。
労災保険制度は、使用者が労働基準法上負う災害補償責任を担保するための無過失補償制度です。業務と傷病等の間に相当因果関係(業務起因性)が認められれば、使用者の過失の有無にかかわらず保険給付が行われます。これに対し民事損害賠償は、会社が労働契約法第5条が定める安全配慮義務に違反したことが要件となり、過失の有無が独立して判断されます。
【根拠】労働契約法(平成19年法律第128号)第5条:「使用者は、労働契約に伴い、労働者がその生命、身体等の安全を確保しつつ労働することができるよう、必要な配慮をするものとする。」
もっとも、両者は完全に独立しているわけではありません。労災認定では業務上の心理的負荷の強度・長時間労働の有無・出来事の評価が詳細に審査されており、これらの認定資料は民事訴訟で間接事実として高い証拠価値を持ちます。最高裁平成12年3月24日判決(電通事件・平成10年(オ)217号・第二小法廷)は、民法715条(使用者責任)に基づく損害賠償請求を肯定した事案ですが、その判決理由において、使用者は、その雇用する労働者に従事させる業務を定めてこれを管理するに際し、業務の遂行に伴う疲労や心理的負荷等が過度に蓄積して労働者の心身の健康を損なうことがないよう注意する義務を負うと判示しました。この判示で示された使用者の健康配慮義務の内容は、その後平成20年に施行された労働契約法第5条が定める安全配慮義務の内容として、実務上引用される基本判例となっています。
【図2】労災認定と民事損害賠償の関係
— 労災が認められても民事責任が成立しない場合がある一方、認定資料は民事訴訟で重要証拠となる。 —
労災認定段階で会社が事業主証明等を漫然と処理してしまうと、認定資料の中で会社認識に反する記載が固まり、民事訴訟で覆すことが難しくなります。労災請求の段階から弁護士に相談する意義はここにあります。 |
| Q | 自殺なのに業務上認定されるのはなぜですか?故意の自殺は補償対象外ではないのですか? |
| A |
結論として、労災保険法第12条の2の2第1項は故意による傷病・死亡を給付制限の対象としていますが、認定基準上、業務によって精神障害を発病した者の自殺は「故意」に該当しないと扱われます。したがって争点は「自殺の故意性」ではなく「発病前6か月間の心理的負荷の強度」に移ることになります。
労災保険法第12条の2の2第1項は、労働者が故意に負傷・疾病・障害・死亡を生じさせた場合に保険給付を行わないと定めています。自殺は文字どおり読めば「故意」に該当しそうに見えますが、認定基準は次の取扱いを定めています。
【根拠】労働者災害補償保険法(昭和22年法律第50号)第12条の2の2第1項:「労働者が、故意に負傷、疾病、障害若しくは死亡又はその直接の原因となつた事故を生じさせたときは、政府は、保険給付を行わない。」
認定基準(令和5年9月1日付基発0901第2号)は、業務によりICD-10のF0からF4に分類される精神障害を発病したと認められる者が自殺を図った場合には、精神障害によって正常の認識、行為選択能力が著しく阻害され、あるいは自殺行為を思いとどまる精神的抑制力が著しく阻害されている状態に陥ったものと推定し、業務起因性を認めると定めています。 使用者側として理解すべきは、争点が「自殺は故意か否か」ではなく、「発病前6か月以内に業務による強い心理的負荷があったか否か」「発病が業務によるものといえるか否か」に集中する構造になっているという点です。発症の有無・時期・原因の3点が決定的な争点となります。
「故意の自殺だから労災にならない」という発想で社内対応を組み立てると、争点を見誤ります。実務上の争点は、発症前6か月間の業務上の出来事の有無と心理的負荷の強度(強・中・弱)の評価です。
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| Q | 本人の性格や私生活上の悩みが自殺の原因だった場合、会社は反論できますか? |
| A |
結論として、認定基準は業務以外の心理的負荷(家族関係・経済問題等)と個体側要因(既往症・性格傾向等)を判断要素として明示しており、これらが発病の主たる原因であることを具体的事実で立証できれば業務起因性を否定する方向の反論材料となります。ただし性格論のみを主張する反論は、最高裁平成12年3月24日判決の趣旨から実務上ほぼ通用しないという認識が必要です。
認定基準は、業務起因性の判断にあたり「業務による心理的負荷の強度」だけでなく、「業務以外の心理的負荷」と「個体側要因」を併せて検討する3要件構造を採用しています。具体的には、業務以外の心理的負荷として家族・親族の出来事、自分の出来事、金銭関係、事件・事故等が、個体側要因として精神障害の既往歴、アルコール依存、生活史・性格等が、別表で評価項目として整理されています。
【図3】認定基準による業務起因性の3要件
— 3要件すべてを満たすときに業務起因性が認められる。使用者側の反論は主に②③で組み立てる。 —
もっとも、個体側要因のうち「性格」を理由とする反論には実務上の限界があります。最高裁平成12年3月24日判決(電通事件・平成10年(オ)217号)は、労働者の性格が同種業務に従事する労働者の個性の多様さとして通常想定される範囲を外れるものでない場合には、その性格及びこれに基づく業務遂行の態様等を心因的要因として斟酌することはできない、と判示しました。これは安全配慮義務違反の損害賠償訴訟における素因減額の場面の判断ですが、認定実務にも実質的に影響しており、「内向的な性格だった」「真面目すぎる性格だった」といった主張は使用者側の反論として通らないのが現状です。 使用者側で組み立てるべきは、性格論ではなく、(1)業務以外の具体的出来事(離婚・家族の死別・多額の借金・別件のトラブル等で客観資料があるもの)、(2)発症前の精神科受診歴・診断記録、(3)業務外で生じていた強いストレス源、といった具体的事実の積み上げです。
⚠️ 個人の私生活情報は、プライバシー保護の観点から、把握・主張の方法を慎重に検討する必要があります。遺族の心情を逆撫でする形での主張は、訴訟戦略上もマイナスに働くことが多いため、表現と立証方法に注意が必要です。
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| Q | 長時間労働の記録がない場合でも業務起因性が認められることはありますか? |
| A |
結論として、長時間労働が認められなくても、認定基準が定める具体的出来事(上司の叱責、配置転換、ハラスメント、顧客対応のトラブル等)が「強」と評価されれば業務起因性は認められます。令和5年9月の認定基準改正でカスタマーハラスメントが具体的出来事として明示されたほか、パワーハラスメント6類型すべての具体例が整理されました。
認定基準は、業務による心理的負荷の評価において、長時間労働を独立した判断要素とするだけでなく、別表1「業務による心理的負荷評価表」に列挙された具体的出来事を「強」「中」「弱」の3段階で評価する方式を採用しています。1つの出来事でも「強」と評価されれば認定要件を満たします。 令和5年9月1日付基発0901第2号による改正では、別表1の見直しが行われ、特にハラスメント関連の整理が進みました。主な改正点は次のとおりです。
【図4】令和5年9月認定基準改正の主な改正点
— 単発の重大な出来事(強)の評価対象が広がっており、使用者の管理責任の範囲も拡張している。 —
使用者側として注意すべきは、「うちは残業ほぼゼロだから労災にはならない」という認識は通用しないという点です。たとえ労働時間が短くても、顧客クレーム対応で土下座を強要された、長期の入院加療を要する重大なケガを伴う事故が発生した、上司から人格を否定する言動を継続して受けた、配置転換で大幅に専門性の異なる業務に従事させられた、といった具体的出来事があれば、認定基準上「強」と評価される可能性があります。 守谷・取手・常総・つくばみらい・柏のTX沿線・常磐線沿線では、小売・飲食・物流・建設・介護・医療といった対人サービス業の事業所が多く、カスタマーハラスメント事案の発生リスクが高い傾向があります。会社としては、苦情対応マニュアルの整備、相談窓口の周知、被害従業員のメンタルケア体制の整備が、結果的に労災認定リスクの低減につながります。 |
| Q | メンタル不調で休職中だった社員が復職後に自殺した場合、会社の責任はどう判断されますか? |
| A |
結論として、既発症の精神障害の悪化が業務によるものといえるかが争点となります。令和5年9月の認定基準改正で、悪化前おおむね6か月以内に業務による強い心理的負荷が認められれば悪化部分について業務起因性が認められる範囲が見直されました。会社としては復職時の業務軽減配慮の有無、産業医面談の実施、本人の体調報告への対応記録が決定的な意味を持ちます。
令和5年改正前の認定基準では、既発症の精神障害が悪化した場合の業務起因性は「特別な出来事」がある場合に限り認められるという限定的な運用がされていました。令和5年9月1日付基発0901第2号による改正では、この点が見直され、悪化前おおむね6か月以内に業務による強い心理的負荷が認められれば、悪化した部分について業務起因性を認めるとされました。 使用者側として確認すべきは、復職前後の対応プロセスです。具体的には次の事項について記録が残っているかが重要となります。
【図5】復職後事案で確認すべき対応記録
— 復職後のフォロー記録が安全配慮義務履行の証跡となる。 —
裁判所は、復職後の自殺事案について、復職時点で精神状態の脆弱性が継続していることを会社が認識し得たかどうか、復職後に過重な業務に従事させなかったか、本人からの体調悪化の訴えに適切に対応したか、という観点から安全配慮義務の履行を判断します。前掲・最高裁平成12年3月24日判決(電通事件)が示した、業務遂行に伴う疲労や心理的負荷の蓄積によって心身の健康を損なうことのないよう注意する義務は、新規発症の場面だけでなく既発症者の悪化防止の場面でも同様に妥当します。
⚠️ 復職時に「もう大丈夫」「本人も希望している」という形で十分な配慮なく復職させ、その後の体調悪化の兆候を見落とすパターンは、安全配慮義務違反として認定される典型例です。リワーク段階の記録、産業医意見、本人の自筆体調記録等の保存が決定的な意味を持ちます。
復職後の対応について不安がある場合、リワーク段階の体制整備を、社内ルールとして文書化しておくことをお勧めします。 |
| Q | 労災から給付があれば、それ以上に会社が遺族に支払うものはないのですか? |
| A |
結論として、労災保険給付は損害の一部しかカバーしておらず、慰謝料は労災保険から一切支給されません。会社に安全配慮義務違反等の過失責任が認められる場合、労災保険給付の範囲外の損害(慰謝料・労災給付で填補されない逸失利益等)について、会社が民事損害賠償として支払う義務を負います。賠償額の算定では本人の過失分を考慮する過失相殺と、労災給付を差し引く損益相殺が重要な争点となります。
労災保険給付と民事損害賠償は補償の範囲が異なります。労災保険は無過失補償制度として一定の給付を行いますが、損害のすべてを填補するものではありません。特に死亡事案では、次の項目が民事損害賠償の対象として残ります。
【図6】死亡事案における民事賠償の主な項目
— 慰謝料は労災保険から一切出ないため、必ず民事賠償の論点となる。 —
賠償額の算定では、本人の過失分を考慮する過失相殺(民法第418条・第722条第2項)が重要な争点となります。安全帯不着用、無理な作業姿勢、健康診断結果の自己管理不足等、本人側に落ち度がある場合には、損害額から本人の過失割合に相当する額を差し引きます。もっとも、過労自殺・精神疾患事案については、最高裁平成12年3月24日判決(電通事件)が示したとおり、性格傾向を理由とする減額は通常認められず、本人の自己保健義務違反等として認められる過失相殺の幅は、物理的事故と比較して限定的になる傾向があります。 また、すでに労災保険から支給を受けた給付については、損益相殺として損害額から差し引きます。ただし、損益相殺には「費目拘束」というルールがあり、労災給付の趣旨・目的と一致する損害項目からのみ控除できます。例えば、療養補償給付は治療費から控除できますが、慰謝料からは控除できません。遺族補償年金は逸失利益から控除できますが、慰謝料からは控除できません。
会社が労災上乗せ保険・使用者賠償責任保険に加入している場合は、これらの保険を賠償の原資にできる可能性があります。労災事故が発生した時点で、保険会社への速やかな通知と保険適用範囲の確認が重要です。
⚠️ 賠償の相手方は本人の法律上の相続人全員です。配偶者と子が相続人となるのが典型ですが、戸籍謄本を取り寄せて正確に確認することが必要です。相続人の一部とだけ示談してしまうと、後に他の相続人から別途請求を受けるリスクがあります。
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従業員の自殺・自殺未遂、メンタル不調による休職・復職、ハラスメント相談を受けた場面での社内対応は、初動の整理が後の労災認定・民事訴訟に大きく影響します。労災請求の通知を受けてから、または訴訟提起を受けてから対応を開始するよりも、その前の段階で社内資料の整理・対応方針の確認をすることで、選択肢が増えます。状況をお聞きしたうえで、会社として整理すべき論点と次にとるべき手続をご説明します。
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・心理的負荷による精神障害の認定基準について(令和5年9月1日付基発0901第2号厚生労働省労働基準局長通知)
・最高裁判所平成12年3月24日第二小法廷判決(電通事件・平成10年(オ)217号・損害賠償請求事件)― 裁判所裁判例検索より閲覧可能
・2026年5月25日:公開
本記事は一般的な情報提供を目的としており、個別事案への法的アドバイスではありません。具体的なご相談は弁護士にお問い合わせください。なお、本記事の内容は2026年(令和8年)5月時点の情報に基づいています。法律・実務の取り扱いは今後変更される可能性があります。
公開日:2026年5月25日/最終更新日:2026年5月25日
